祇園祭と山笠

京都において天禄元年(970年)祇園祭りが初めて行われ、壇ノ浦合戦後この地を治めた麻生氏が、
元久二年(1205年)花尾山城のふもと、前田祇園原において祇園祭りを行ったのが、前田祇園の始まりです。
花尾城主五代麻生家長・義資親子によって、更に室町文化が流布され、その神事の盛大化、旗笹山笠の?成化を一層進めました。
祇園杜「八束髭(やつがひげ)神社」の御神幸に追従する山笠鉾は、順路述々で獅子舞や神楽舞の奉納をしながら、
その祇園祭を目にする人民の息災や平穏無事の実を挙げて行きました。
洞の海や遠賀川流域を一望できる花尾城で麻生氏は、全国支配を目する豊臣秀吉の九州征伐に破れ開城。
慶長五年(1600年)筑前藩黒田氏の施政下、対豊前国の為、国境六端城が建設されました。 その一城である黒崎城主井上周防守の宿場造り、町造りの為、街道の変更等江戸文化の構築に係り、「八束髭神社」の御分霊をも藤田村に祀って、祇園祭の枝祭としました。
その後も本宮の前田祇園祭は永々と住民の信仰と熱意により、820年の歴史を背負い今日に至り、仲宿八幡宮の祇園祭の大行事となっています。
なお、八束髭神社は戦後の荒廃により、仲宿八幡宮に遷座合祀されています。
 


八束髪神社

仲宿八幡宮

笹山笠(桃園山笠)

無形民俗文化財指定記念碑